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加藤泰廣

更新日:2021年4月20日更新 印刷ページ表示

4代藩主 加藤泰廣について

加藤泰廣は、宝永7(1710)年、加藤泰恒(大洲藩3代)の7男として江戸に生まれました。

享保9(1724)年、泰貫(3代)の養子になると、享保12(1727)年には泰貫の隠居に伴い家督を相続しました。

享保17(1732)年、泰廣は多田儀八郎(朱子学者三宅尚斎に学び、のちに室鳩巣の門下となる)を招き、講義を受けるなど学問に熱心な藩主でした。

同年に、本家の大洲藩が、著名な陽明学者である川田雄琴を藩士に迎えていることから、泰廣は新谷藩士への教育を狙って招聘したと考えられています。

宝暦6(1756)年、長男の泰官(5代)に家督を譲り隠居すると、宝暦9(1759)年、病気のため新谷へ引き移りました。

天明5(1785)年、新谷において76歳で没すると、新谷の大恩寺に葬られました。

 

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