加藤泰貫
印刷用ページを表示する 掲載日:2021年4月20日更新
3代藩主 加藤泰貫について
加藤泰貫は、延宝4(1676)年、泰觚(2代)の嫡男として江戸で生まれ、享保元(1716)年、父泰觚の隠居に伴い家督を相続しました。
藩主在任期間中は、江戸城の呉服橋御門、日比谷橋御門の門番を命じられたほか、享保5(1720)年には駿府加番を命じられました。
また、享保3(1718)年と享保6(1721)年には、江戸の藩上屋敷が2度にわたって類焼するなど、1万石の小藩にとっては財政的に大きな負担となりました。
享保9(1724)年には、以前より幕府に願い出ていた泰統(大洲藩4代)の弟であった泰廣を養子とすることが認められると、泰廣とともに8代将軍徳川吉宗に謁見しました。
享保12(1727)年に隠居すると翌年新谷へ引っ越しますが、同年新谷で没しました。
遺骸は新谷の大恩寺に葬られました。