本文
加藤泰觚は、明暦2(1656)年、加藤泰義(泰興(大洲藩2代)の嫡男)の長男として大洲に生まれました。
寛文9(1669)年、加藤直泰(初代)の養子になると、翌年直泰とともに江戸へ参勤し、初めて4代将軍徳川家綱に謁見しました。
天和2(1682)年、養父直泰の死去により家督を相続すると、宝永元(1704)年と正徳3(1713)年には駿府加番(駿府城に置かれ、大名から1人、旗本から2人が選出され勤めた)を命じられました。
その際に召し連れた家臣は、総勢約400人と言われています。
享保元(1716)年、病により隠居すると、実名を元の泰忠に改め、江戸の三ノ輪(現東京都荒川区)の下屋敷に移りました。
享保11(1726)年、71歳で没すると、墓地は新谷に造営されず、江戸の菩提寺である海禅寺に葬られました。
現在、海禅寺には加藤家の墓地はなく、神奈川県にある新谷加藤家の墓地にまとめられています。