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加藤泰義
加藤泰義は、泰興(2代)の嫡男として、寛永6(1629)年、江戸に生まれました。
承応元(1652)年、24歳で従五位下美作守に叙任すると、部屋住み(相続前の嫡男または次男以下で、分家や独立ができず父や兄のもとに留まること)のまま父と交代で参勤し、在邑(領地の大洲に居ること)の際には、下屋敷に居住し、父に代わって藩政を指揮しました。
泰義は学問にも熱心で、各藩の藩士や政治状況を解説した『土芥寇讎記』の中では、「世ニ隠レナキ学将」と称せられるほど学問に秀でた人物として評せられています。
しかし、寛文8(1668)年、父から家督を相続することなく、40歳で没しました。
遺骸は曹渓院に葬られますが、如法寺にも墓碑が建立されています。