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名称 | 柳瀬焼窯跡(やなせ やき かまあと) |
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指定種別 | 市指定 |
種別 | 史跡 |
指定年月日 | 昭和31年9月30日 |
所在地 | 大洲市松尾33-1 |
所有者 | 個人 |
柳瀬焼は、大洲藩3代藩主の加藤泰恒が焼かせた焼物です。
窯は冨士山(とみす やま、標高約320m)対岸の梁瀬山(やなせ やま、標高約370m)の麓にあり、上方(かみがた、関西地方)から迎えた才兵衛(さいべえ)という陶工に藩御用の陶器を作らせたと伝わります。
元禄年間(1688-1704年)頃の開窯で、操業期間は最長でも50年ほどの短いものでしたが、その間に焼かれた藩用の茶器類には優品が多く、蓮根(れんこん)形の花器や、椎茸(しいたけ)形の菓子鉢など、凝った意匠のものが今に残されています。
なかでも「竹図透入り器」は、柳瀬焼の代表作として市の有形文化財(工芸品)に指定されています。
柳瀬焼は、県内の陶器生産の中でもいち早く開始されたものであり、その窯跡は県内最古の近世窯跡として貴重です。
柳瀬焼窯跡