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柳瀬焼竹図透入り器

更新日:2020年4月1日更新 印刷ページ表示
名称 柳瀬焼竹図透入り器(やなせやき ちくず すかし いり うつわ)
指定種別 市指定
種別 有形文化財(工芸品)
数量 1個
指定年月日 昭和37年11月3日
所有者 愛媛県立大洲高等学校

概要

柳瀬焼は、3代藩主・加藤泰恒(かとう やすつね)の頃、上方(かみがた、関西地方)から来た才兵衛(さいべえ)という陶工に命じ、梁瀬山(柚木地区)の麓で制作したのが始まりです。

ここでは、藩御用の陶器を制作したと伝えられていますが、窯業(ようぎょう)期間は約30~40年と短いものでした。

この作品は、本来、加藤家に伝来したものとされています。

高さ16.6cm、口径12cmで、灰色がかった胴全体には、大きく竹が図案化されています。

竹の葉や稈(かん、樹木でいう幹の部分に相当)の一部を透かし彫とするほか、白土を象嵌(ぞうがん、ほかの材料を掘りはめ込んで模様にすること)した線で描くなどの特徴がみられます。

この作品は、大名家の伝来品らしく、きわめて精巧なもので、柳瀬焼のなかでも最も優品といえます。

写真

 梁瀬焼竹図透入り器 柳瀬焼竹図透入り器