加藤泰理
印刷用ページを表示する 掲載日:2021年4月20日更新
8代藩主 加藤泰理について
加藤泰理は、文化12(1815)年、江戸に生まれ、天保2(1831)年、父泰儔(7代)の隠居に伴い家督を相続しました。
泰理が藩主になった時期も財政難は続いていました。
しかし、学問に熱心であった泰理は、財政再建のため一時中断していた藩校「求道軒」の再興を図り、藩士の教育に力を尽くしました。
また、嘉永6(1853)年、アメリカ海軍のペリーが浦賀に来航すると、外国船が領内に現れることを危惧して、海岸防衛に係る費用の提供を領民に命じました。
そのようななか、文久元(1861)年、長浜沖に外国船が停泊する事件が発生します。
藩では対抗措置として、領内各家の古銅や寺院の梵鐘を回収して大砲の鋳造に取り掛るなど、軍備の増強を図りました。
文久2(1862)年に隠居すると、慶応3(1867)年、江戸において53歳で没しました。
なお、遺骸は江戸の海禅寺に埋葬されますが、新谷には墓所が築かれませんでした。