加藤泰令
印刷用ページを表示する 掲載日:2021年4月20日更新
9代藩主 加藤泰令について
加藤泰令は、天保9(1838)年、泰理(8代)の子として生まれ、文久2(1862)年、父泰理の隠居により家督を相続しました。
泰令が藩主となったころは、外国船が日本に頻繁に現れる幕末の動乱期でした。
藩主に就いた翌年には、領内の海岸防衛のため、農民に鉄砲の所持を認める「郷筒」や、農民を召し抱えて組織した農民鉄砲隊「郷組」を設立するなど、軍備の充実に努めました。
また、本家の大洲藩とともに朝廷を重んじ、農兵を率いて宮廷の守護を務め、明治元(1868)年、明治天皇の東京行幸の際には、行列の後衛を任されました。
大正2(1913)年、東京にて76歳で没し、遺骸は江戸の海禅寺に埋葬されますが、新谷に墓所は築かれませんでした。