加藤泰統
印刷用ページを表示する 掲載日:2021年4月20日更新
4代藩主 加藤泰統について
加藤泰統
大洲藩4代藩主・加藤泰統は、元禄2(1689)年、加藤泰恒の二男として大洲に生まれました。
正徳5(1715)年、父泰恒が亡くなると。27歳で家督を相続しました。
泰統が藩主となったころは、度重なる江戸屋敷の類焼や、破損した大洲城石垣の修復などの災害復旧によって、藩の財政が行き詰まりはじめた時期でした。
その打開策として泰統は、亨保元(1716)年から5年間、これまでの収穫前に米の生育状況を調べて豊作・凶作によって年貢の税率を決定する「検見取(けみどり)」から、各村の過去数ヵ年の実収入高の平均値によって一定の税率を決定する「定免(じょうめん)」に変更することで、藩の安定的な収入の確保を図りました。
また、裕福な町人や百姓からは、御用銀と称して臨時的に銀の上納を命じたほか、藩士に対しても一旦給与から差し引き、後日返還する借上米や、事実上の減給となる引上米を実施するなど財政再建のための改革を進めました。
このように思い切った藩政改革を実行した泰統ですが、人物像は思いやりのある情け深い人柄と伝えられています。
あるとき、河辺方面に出かけた泰統は、川上から流れてくる溺死者を見つけます。
その際、溺死者を懇ろに葬るよう命じるとともに、所縁のわからない者についても、庄屋などが見届けて葬るようにと家臣に命じたとされ、その情け深い泰統の心に士民ともに感銘したという逸話が残されています。
泰統は、享保12(1727)年、大洲において39歳の若さで没し、遺骸は如法寺に葬られました。