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名称 | 旧村上家住宅 主屋・付属屋・土蔵・貸家(きゅう むらかみけ じゅうたく しゅおく・ふぞくや・どぞう・かしや) |
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指定種別 | 国登録 |
種別 | 有形文化財 |
数量 | 各1棟 |
登録年月日 | 令和5年8月7日 |
所在地 | 大洲市大洲字志保町東379,378 |
所有者 | 法人 |
旧村上家住宅は、主屋・付属屋・土蔵・貸家からなる町家建築で、肱南地区に所在します。
村上家は、江戸時代から「堀之内」の屋号で商売をしていましたが、とくに幕末から明治前期にかけては、特産品となる高品質の木蝋(もくろう、和ろうそくなどの原料)製造によって、喜多郡でも屈指の豪商となります。
なかでも7代目の村上長次郎(1853~1919)は、大洲銀行の設立にも携わります。
長年、頭取を務め、製糸業など地元産業の発展を支えたほか、愛媛県議会議員など公職も歴任することになります。
これらの建物は住居としての機能のほか、木蝋の店舗や作業場などとしての役割も果たし、村上家や大洲の木蝋製造の繁栄を今に伝えています。
旧村上家住宅は、主屋、付属屋、貸家が横並びで志保町(しおまち)通りに西面します。
主屋は「家内安全」の祈祷札(きとうふだ)から明治2(1869)年の建築とされるほか、貸家が江戸後期、付属屋が江戸末期の建築と推定されています。
いずれも2階に接客用の座敷が設けられていることが特徴で、とくに主屋は整った正面外観を有し、大黒柱のある広い表土間、3室続き間の座敷など、豪商にふさわしい建築となっています。
また、土蔵は明治中期頃の建築と考えられ、白漆喰塗(しろ しっくい ぬり)で下部に丁寧な海鼠壁(なまこ かべ)を施し、肱川の浸水害を防ぐために1階の床が高くなっています。
これらの建物は、江戸後期から明治期にかけての豪商の町家建築について、その発展過程や大洲城下町の地域性をよく表しています。
旧村上家住宅主屋 外観
旧村上家住宅貸家(左)・付属屋(右) 外観
旧村上家住宅土蔵 外観