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名称 | 成能村農民27人同志郷約の地(なるのう むら のうみん にじゅうななにん どうし きょうやくの ち) |
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指定種別 | 市指定 |
種別 | 史跡 |
指定年月日 | 昭和60年9月26日 |
所在地 | 大洲市成能甲101 |
所有者 | 成福寺 |
江戸時代の中ごろ、陽明学者の川田雄琴(かわだ ゆうきん、1684-1760)は、大洲藩主や藩士に講義をおこなう一方で、藩内を巡回して庶民にも分かりやすく陽明学の教えを広めました。
その雄琴の話に触発された成能村の農民27人は、自主的に自分たちにでもできることを話し合い、覚書を作って守ることを誓いました。
元文5(1740)年ごろに作られたこの覚書の内容は11か条からなり、農業に励むこと、博打(ばくち)をしないこと、互いに助け合うこと、などが記されています。
当時、庶民が集会を開いたり団体で行動することは禁止されていましたが、藩はその内容に感心し、一切の罰を与えませんでした。
大洲藩内でこのような覚書が作られたところは他になく、農民の優れたおこないを伝える地といえます。
成能村農民27人同志郷約の地