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山本尚徳邸跡

更新日:2021年4月20日更新 印刷ページ表示
名称 山本尚徳邸跡(やまもと ひさのり やしきあと)
指定種別 市指定
種別 史跡
指定年月日 昭和31年9月30日
所在地 大洲市大洲1006(大洲市立大洲南中学校内)
所有者 大洲市

概要

山本尚徳(1826~1871年)は、明治初期に大参事(現在の副知事にあたる役職)に就き、江戸時代までの家老に代わって政治を執りおこなった人物です。

尚徳は、養蚕(ようさん)業や、製茶業を奨励し、英語や西洋医学を積極的に取り入れるなど、大洲の産業や文化の発展に貢献しました。

しかし、こうした発展的な取組みは、明治維新後の混乱期において、旧藩士や民衆の誤解や反発を招く事態となり、明治4(1871)年には「大洲騒動」と呼ばれる大規模な農民一揆が発生します。

尚徳はこの責任をとって自宅で自害し、騒動は沈静化しました。

かつて尚徳の屋敷であった大洲南中学校の脇には、尚徳の功績を伝える石碑が立てられています。

写真

 山本尚徳邸跡 山本尚徳邸跡に建つ頌徳碑

位置図