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武田敬孝・成章兄弟誕生地

更新日:2020年4月1日更新 印刷ページ表示
名称 武田敬孝・成章兄弟誕生地(たけだ ゆきたか・しげあや きょうだい たんじょうち)
指定種別 市指定
種別 史跡
指定年月日 昭和44年2月21日
所在地 大洲市中村411
所有者 個人

概要

武田敬孝は文政3(1820)年、武田成章は文政10(1827)年に、中村地区にあった武家屋敷の一角で生まれました。

兄の敬孝は、大洲藩校・明倫堂(めいりんどう)の教授などを務め、藩主に対して藩政改革を進言したほか、藩論を勤王(きんのう、天皇に忠義を誓うこと)へと導きました。

また、文久3(1863)年に京都で起きた「八月十八日の政変」では、藩主とともに御所を警護しました。

弟の成章は、大坂の緒方洪庵(おがた こうあん)に蘭学を学び、その後、佐久間象山(さくま しょうざん)に兵学を学びました。

のちに外交交渉の場で活躍し、ロシア側全権であったロシア海軍提督・プチャーチンとの折衝の際には通訳も務めました。

また、日本城郭史上初となる、西洋式城郭の五稜郭(ごりょうかく、北海道函館市)を設計したことは有名です。

敬孝と成章は、ともに幕末から明治にかけて活躍した大洲を代表する偉人です。

この史跡は、兄弟の生誕地として貴重といえます。

写真

 武田敬孝・成章兄弟誕生地 武田敬孝・成章兄弟誕生地

位置図