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名称 | 武田敬孝・成章兄弟誕生地(たけだ ゆきたか・しげあや きょうだい たんじょうち) |
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指定種別 | 市指定 |
種別 | 史跡 |
指定年月日 | 昭和44年2月21日 |
所在地 | 大洲市中村411 |
所有者 | 個人 |
武田敬孝は文政3(1820)年、武田成章は文政10(1827)年に、中村地区にあった武家屋敷の一角で生まれました。
兄の敬孝は、大洲藩校・明倫堂(めいりんどう)の教授などを務め、藩主に対して藩政改革を進言したほか、藩論を勤王(きんのう、天皇に忠義を誓うこと)へと導きました。
また、文久3(1863)年に京都で起きた「八月十八日の政変」では、藩主とともに御所を警護しました。
弟の成章は、大坂の緒方洪庵(おがた こうあん)に蘭学を学び、その後、佐久間象山(さくま しょうざん)に兵学を学びました。
のちに外交交渉の場で活躍し、ロシア側全権であったロシア海軍提督・プチャーチンとの折衝の際には通訳も務めました。
また、日本城郭史上初となる、西洋式城郭の五稜郭(ごりょうかく、北海道函館市)を設計したことは有名です。
敬孝と成章は、ともに幕末から明治にかけて活躍した大洲を代表する偉人です。
この史跡は、兄弟の生誕地として貴重といえます。
武田敬孝・成章兄弟誕生地