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名称 | 汗生城跡(あせぶじょう あと) |
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指定種別 | 市指定 |
種別 | 史跡 |
指定年月日 | 昭和49年3月16日 |
所在地 | 大洲市肱川町宇和川3771 |
所有者 | 個人 |
この城跡は、肱川中流域にあたる肱川町宇和川の汗生(あせぶ)地区にあります。
肱川に面し、左岸に続く山並みの中腹に築かれ、標高は150mほどです。
肱川町中居谷に所在する橘城跡(市史跡)の支城にあたり、冨永氏が居城していましたが、天正8~9(1580~81)年、土佐の長宗我部氏の侵攻によって落城したとされます。
本城跡は、南から北へ伸びる尾根筋に沿って連なる6つの曲輪(くるわ)と、大規模な堀切(ほりきり)とで構成されています。
本丸は最も南側の曲輪で、東西約34m、南北約38mの方形状を呈し、本城跡では最大の曲輪です。
この本丸の南側には、馬蹄(ばてい)形をした土塁状の防御設備が備えられ、敵の侵入を拒んでいます。
汗生城跡は、周辺の城郭と比較して規模が大きく、また、全体的に当時の形状をよく保っていることから、この地域の中世城郭の様相を知るうえでとても重要です。
汗生城跡の縄張図