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名称 | 橘城跡(たちばなじょう あと) |
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指定種別 | 市指定 |
種別 | 史跡 |
指定年月日 | 昭和49年3月16日 |
所在地 | 大洲市肱川町中居谷518-2 |
所有者 | 八幡神社 |
この城跡は、肱川町中居谷地区の西部にあり、現在は中居谷八幡神社の境内になっています。
尾根端部に立地し、標高は最高所で約338m、下を流れる粟太郎川からの比高は約130mあります。
尾根頂部には、25×15mの方形の本丸があり、本丸を包むように、4つの帯状の曲輪が段々に南斜面へ展開しています。
『大洲旧記』によれば、冨永氏、大野(橘)氏が居城したとされ、地域支配の拠点であったようです。
また、最後の城主であった大野直範(おおの なおのり)と、土佐の長宗我部軍とが交戦した様子が記されており、天正13(1585)年、秀吉による四国征伐によって落城したと記されています。
周辺に展開する大小の支城を率い、この地域の防御の要として中心的な存在であったことや、当時の形状が比較的よく保たれていることからも、重要な城郭といえます。
橘城跡