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| 名称 | 塩屋町創成褒状(しおやまち そうせい ほうじょう) |
|---|---|
| 指定種別 | 市指定 |
| 種別 | 有形文化財 |
| 数量 | 1幅 |
| 指定年月日 | 昭和53年3月31日 |
| 所在地 | 大洲市中村618の1(大洲市立博物館内) |
| 所有者 | 大洲市 |
塩屋町創成褒状は、慶長10(1605)年7月28日、藤堂高虎(とうどう たかとら)の家臣である田中林斎(たなか りんさい)が、塩屋町の町役人に宛てて出されたもので、速やかに大洲城下に塩を売買する町を設置したことへの称賛とともに、大洲城下の町において塩屋町以外での塩の売買を禁止することを伝えた書状です。
塩屋町(現 志保町)の町名は、江戸時代には塩町、明治以降は志保町(しほ まち)と呼ばれるようになりますが、これは「しお」が「しほ」と訛ったことから、町名が変化したものと伝えられています。
この文書は、大洲城下における町人町の創設について記録された一番古い記録であることや、高虎に関する文書は少ないことからも、貴重な史料であると言えます。
