止善書院明倫堂跡
印刷用ページを表示する 掲載日:2016年12月26日更新
名称 | 止善書院明倫堂跡(しぜんしょいん めいりんどうあと) |
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指定種別 | 市指定 |
種別 | 史跡 |
指定年月日 | 昭和31年9月30日 |
所在地 | 大洲市大洲635の9 |
所有者 | 大洲市 |
概要
大洲の桝形通りにある観光駐車場は、かつて大洲藩の学校である「止善書院明倫堂」があった場所です。
明倫堂は伊予八藩の中で最初に造られた藩校で、江戸時代の中頃、大洲藩5代藩主の加藤泰温(かとう やすあつ)が江戸から招いた陽明学者の川田雄琴(かわだ ゆうきん)に建設を命じました。泰温は藩校の完成を待たずして亡くなりますが、志は6代藩主加藤泰衑(かとう やすみち)に引き継がれ、延享4(1747)年に開校しました。その後、明治5(1872)年に廃校となるまでの125年間、大洲教育の中心として藩士の子弟を中心に多くの人材を輩出してきました。
現在、敷地の片隅に土蔵が残っているほか、道路に面した溝には石垣も残っており、当時の面影をとどめています。
写真
明倫堂の面影を残す土蔵