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名称 | 川田雄琴一家の墓(かわだゆうきん いっかの はか) |
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指定種別 | 県指定 |
種別 | 史跡 |
指定年月日 | 昭和34年3月31日 |
所在地 | 大洲市柚木46 |
所有者 | 興禅寺 |
川田雄琴一家の墓は、興禅寺(こうぜん じ)の境内裏、山の中腹にあり、墓域は東西3m南北8mに広がります。
雄琴の墓碑は南側にあって北面し、花崗岩製で「雄琴川田先生墓」という刻銘があります。
墓地の西側には、雄琴夫人の「慧球孺人墓」、「為谿川田先生墓」、「川田為谿翁室室岡氏墓」および「紫淵川田先生墓」の4基が並んでいます。
雄琴(1684~1760)は、梁田蛻巌(やなだ ぜいがん)に師事して朱子学を、また、のちに三輪執斎(みわ しっさい)に師事して陽明学を学びました。
さらに、大洲藩第5代藩主・泰温(やすあつ)に仕え、藩学・止善書院明倫堂の創設に尽力して、その教授となりました。
川田家は、雄琴の嫡子・資哲(為谿、いけい)、嫡孫・資始(しし)と資敬(しけい)と、3代60年にわたり、陽明学者として止善書院明倫堂の教授を継承します。
寛政異学の禁(1790年)によって家業が免ぜられるまで、藩教学の興隆にあたりました。