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川田雄琴一家の墓

更新日:2017年4月14日更新 印刷ページ表示
名称川田雄琴一家の墓(かわだゆうきん いっかの はか)
指定種別県指定
種別史跡
指定年月日昭和34年3月31日
所在地大洲市柚木46
所有者興禅寺

概要

 川田雄琴一家の墓は、興禅寺(こうぜん じ)の境内裏、山の中腹にあり、墓域は東西3m南北8mに広がります。
 雄琴の墓碑は南側にあって北面し、花崗岩製で「雄琴川田先生墓」という刻銘があります。
 墓地の西側には、雄琴夫人の「慧球孺人墓」、「為谿川田先生墓」、「川田為谿翁室室岡氏墓」および「紫淵川田先生墓」の4基が並んでいます。

 雄琴(1684~1760)は、梁田蛻巌(やなだ ぜいがん)に師事して朱子学を、また、のちに三輪執斎(みわ しっさい)に師事して陽明学を学びました。
 さらに、大洲藩第5代藩主・泰温(やすあつ)に仕え、藩学・止善書院明倫堂の創設に尽力して、その教授となりました。
 川田家は、雄琴の嫡子・資哲(為谿、いけい)、嫡孫・資始(しし)と資敬(しけい)と、3代60年にわたり、陽明学者として止善書院明倫堂の教授を継承します。
 寛政異学の禁(1790年)によって家業が免ぜられるまで、藩教学の興隆にあたりました。

位置図