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名称 | 臥龍山荘 臥龍院・不老庵・文庫(がりゅうさんそう がりゅういん・ふろうあん・ぶんこ) |
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指定種別 | 国指定 |
種別 | 建造物 |
指定年月日 | 平成28年7月25日 |
数量 | 臥龍院1棟 不老庵1棟 文庫1棟 |
所在地 | 大洲市大洲字勘兵衛屋敷411番地 |
所有者 | 大洲市 |
臥龍山荘(臥龍院・不老庵・文庫)は、大洲城下町の東端に位置し、肱川を臨む景勝地にあります。
臥龍山荘建築の構想を立てた河内寅次郎(こうち とらじろう)は、大洲市新谷出身の貿易商で、木蝋(もくろう)の輸出事業で成功を収めた人物です。
寅次郎は、京都の茶室建築家・八木甚兵衛(やぎ じんべえ)を相談役として迎え、桂離宮や修学院離宮などを参考として設計しています。
明治30(1897)年ごろから、大洲藩の作事方の家系を継ぐ中野虎雄(なかの とらお)や、職人集団の「千家十職(せんけじっそく)」などの手によって築造が進められました。
臥龍院は、明治40(1907)年2月に完成した臥龍山荘の主屋であり、平屋建ての寄棟造りで平入りとなっています。
室内は7部屋からなっており、各室は機能的に間取りが考えられ、室内構成もそれぞれの意匠を工夫しています。
明治34(1901)年3月に完成した不老庵は、臥龍院から庭園を抜けて少し離れた、肱川の臥龍淵を見下ろす場所に建っています。
平屋建ての寄棟造りで、北面西寄りに茶室が付属しています。
川へ迫り出すような懸造りを採用し、肱川に浮かぶ船に見立てている点が、最大の特徴です。
これらの建物は、「極めて独創的な数奇屋の意匠」であり、「四国地方における近代の数寄屋建築の優品として高い価値を有している」ことが高く評価されています。
臥龍院 外観
不老庵 外観
文庫 外観