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今回、お話しを聞かせていただいたのは、大谷文楽一座の会長中塚忠さんです。
雪の中出迎えてくださったお姿はお元気そのもので、大谷地区に代々伝わる「文楽」の継承に力を注いでおられます。
「文楽についてお聞かせいただいてもよろしいですか?」と話はじめのひと言を発すると、歴史、経歴、出し物の内容まで、詳しくそして鮮明なお話が続き、歴史の流れを楽しむかの様に聞くことができました。
中塚会長と文楽の人形
徳川時代も終わりの頃、淡路の人形芝居「吉田田次郎」一座が大谷地区で巡業、その後滞在し、素人玄人交えて初舞台を踏んだのが『大谷文楽』の始まり。村民を楽しませたい、そんな純粋な気持ちが座員から座員へと代々受け継がれて今に至っているそうです。
時を経る中で、いくつかの座を吸収し大きくなりながら、「(人形の)頭」「金銀刺繍幕」「衣装」「道具」など多くの道具が揃うようになりました。道具は逸品が多く、国宝級のものもあり、今も保管庫にて大切に保存されています。人形にはそれぞれ名前があり、その語り口調には「人形」そして「文楽」に対する愛情を感じずにはいられませんでした。昭和16年頃には負債を抱えるなどの時期などもあったそうですが、座員や地元の有志の寄付により窮地を脱することができたそうです。
数々の困難を越え、今もなお「大谷文楽」を多くの人に広めたいという気持ちは変わらず、小学校などで舞台を演じる機会には、積極的に活動されています。
「大谷文楽を誇りに思っています」中塚さんの言葉は、これまで長年大谷文楽を支えてきた自信と、文楽に対する愛情に満ちていました。
日本の伝統的人形劇の1つで、世界に誇りうる高度な舞台芸術の名称です。「文楽」と呼ばれるようになったのは、明治の終わり頃からで、それまでは「人形浄瑠璃」などと呼ばれていました。文楽が世界に誇れる伝統である理由は、高度な戯曲・音楽と三人で一体の人形を操作する「三人遣い」にあります。