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「伊予遍路道大寶寺道」が国の史跡に指定決定!
令和5年10月20日に国の文化審議会が開催され、「伊予遍路道大寶寺道」の鳥坂峠越の区間を、国の史跡に追加指定するよう文部科学大臣に答申されました。
全長約1,400kmにも及ぶ四国遍路道のうち、愛媛県内の遍路道は「伊予遍路道」と呼ばれ、当時の道の様子を比較的良好に留めている区間が平成28年から断続的に国史跡として指定されています。
今回、新たに指定される見込みとなったのは、第43番札所・明石寺(西予市宇和町)と第44番札所・大寶寺(浮穴郡久万高原町)とを結ぶ「大寶寺道」のうち、西予市宇和町久保~大洲市野佐来の「鳥坂峠越」と呼ばれる区間(大洲市側延べ約2.3km、西予市側延べ約1.5km)です。
大洲市内としては、今年3月に指定となった「八幡浜街道 夜昼峠越」に続いて、2件目の国史跡となります。
「伊予遍路道大寶寺道」について
この道は、鳥坂峠(標高約466m)を越えて、西予市宇和町久保と大洲市野佐来とをつないだ古道です。
この道が通行されはじめた正確な時期は不明ですが、この道の付近は戦国時代の南予最大の合戦とされる「鳥坂合戦」の舞台となっており、この頃までには交通の要衝として認識されていたと考えられています。
江戸時代になると、さまざまな絵図に道が記載されるほか、遍路が残した日記などにも通行の記録が残されています。
第43番札所・明石寺(西予市宇和町)から第44番札所・大寶寺(浮穴郡久万高原町)へ向かう遍路が通行しただけではなく、宇和島藩と大洲藩とを結ぶ主要道としての役割を担ったほか、宇和島藩主が参勤交代で通行したことも明らかとなっています。
当時の道の状態を比較的良好にとどめているほか、遍路通行の歴史、地域交通の歴史が如実に表れている道であることが評価され、今回の指定につながりました。
※なお、一部で崩落などが生じ、現在は通行の難しい地点があります。見学、通行の際は、十分にご注意ください。
道の様子
遍路墓と道