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金刀比羅神社算額

更新日:2016年6月6日更新 印刷ページ表示
名称金刀比羅神社算額(ことひらじんじゃ さんがく)
指定種別県指定
種別有形民俗文化財
指定年月日平成17年12月27日
数量1面
所在地大洲市中村618の1(大洲市立博物館内)
所有者金刀比羅神社

概要

 本額面は、天明8(1788)年、別宮四郎兵衛猶重(べっく しろうべえ なおしげ)によって、大洲市新谷の金比羅神社に奉納され、当神社の絵馬殿に掲げられてきたものです。

 縁の外寸が縦752mm、横1059mm、厚み29mmと横長で、桐材を3枚合せた面に描かれています。
 構図は、平面幾何に関する問題文だけを示し、その解法を問う「遺題算額(いだい さんがく)」で、その初期のものと考えられています。

 奉納者である猶重は、新谷藩の御取持方(おとりもちがた)とされます。
 また、猶重の師である兵頭正甫(ひょうどう せいほ)は、新谷藩の出海村(大洲市長浜町出海)の庄屋であり、和算家の内田秀富(うちだ しゅうふ)に師事しています。

 江戸期の和算家の間には、「遺題継承(いだい けいしょう)」という、ある数学者が解を示さずに著した問題を、別の数学者が解決し、さらに問題を残す風習がありました。
 本額面も、猶重をはじめとした「遺題継承」の一過程を示しているものと思われます。
 また、中江藤樹を擁した大洲は好学の地としても知られており、そのことを今に示す貴重な資料ともいえます。 

写真

金刀比羅神社算額 金刀比羅神社算額

金刀比羅神社の位置図

 ※算額は、大洲市立博物館に保管されています。