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中江藤樹の邸跡

更新日:2017年4月14日更新 印刷ページ表示
名称中江藤樹の邸跡(なかえとうじゅの やしきあと)
指定種別県指定
種別史跡
指定年月日昭和23年10月28日
所在地大洲市大洲737(愛媛県立大洲高等学校内)
所有者愛媛県

概要

 中江藤樹(1608-1648)は、江戸時代の陽明学者で、陽明学の確立と「知行合一」の道を実践し、のちに「近江聖人」と称えられました。

 藤樹は近江国小川村(滋賀県高島市)に生まれ、9歳のとき、祖父吉長(加藤家家臣)の養子となりました。
 10歳のとき、大洲藩初代藩主である加藤貞泰(かとう さだやす)に従って大洲へ移り住み、儒学を究め、徐々に好学の藩風を醸成します。
 元和8(1622)年、祖父の死去により家督を相続しますが、寛永11(1634)年、27歳のとき大洲の地を離れ、母の待つ近江へ戻りました。

 藤樹が住んだ屋敷跡は、今の県立大洲高等学校の一画にあると伝えられ、庭先に残る井戸は「中江の水」と称されています。
 昭和14(1939)年には、藤樹の遺徳をしのび、敷地の一部を造成して「至徳堂」が建築されました。
 また、その前庭には藤樹書院(滋賀県高島市、藤樹が近江国で開いた私塾)から分けられた「遺愛の藤」が植えられています。

写真

中江藤樹の邸跡 中江藤樹の邸跡 外観

位置図