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名称 | 中江藤樹の邸跡(なかえとうじゅの やしきあと) |
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指定種別 | 県指定 |
種別 | 史跡 |
指定年月日 | 昭和23年10月28日 |
所在地 | 大洲市大洲737(愛媛県立大洲高等学校内) |
所有者 | 愛媛県 |
中江藤樹(1608-1648)は、江戸時代の陽明学者で、陽明学の確立と「知行合一」の道を実践し、のちに「近江聖人」と称えられました。
藤樹は近江国小川村(滋賀県高島市)に生まれ、9歳のとき、祖父吉長(加藤家家臣)の養子となりました。
10歳のとき、大洲藩初代藩主である加藤貞泰(かとう さだやす)に従って大洲へ移り住み、儒学を究め、徐々に好学の藩風を醸成します。
元和8(1622)年、祖父の死去により家督を相続しますが、寛永11(1634)年、27歳のとき大洲の地を離れ、母の待つ近江へ戻りました。
藤樹が住んだ屋敷跡は、今の県立大洲高等学校の一画にあると伝えられ、庭先に残る井戸は「中江の水」と称されています。
昭和14(1939)年には、藤樹の遺徳をしのび、敷地の一部を造成して「至徳堂」が建築されました。
また、その前庭には藤樹書院(滋賀県高島市、藤樹が近江国で開いた私塾)から分けられた「遺愛の藤」が植えられています。
中江藤樹の邸跡 外観